クリスチャン・ポラック 著作資料

在日フランス商工会議所 出版紙「フランス・ジャポン・エコー」より抜粋

ANTOINE BECHETOILLE (1872-1966), marchand de soie à Lyon et agent du comptoir d’exportation Harayushutsuten / Deuxième partie : Voyage au Japon

リヨンの絹商人、原輸出店総代理人 アントワーヌ・ベシュトワル (1872-1966) / 第二部 : 日本への旅

前号掲載の第一部では、リヨン出身の絹輸入商で1903年から1918年まで横浜の絹貿易会社、原輸出店の代理人を務めたアントワーヌ・ベシュトワルを紹介した。本号第二部では彼を追って1910年の日本へと旅立つ。

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ANTOINE BECHETOILLE (1872-1966), marchand de soie à Lyon et agent du comptoir d’exportation Harayushutsuten / Première partie : Restons en famille !

リヨンの絹商人、原輸出店総代理人 アントワーヌ・ベシュトワル (1872-1966) / 第一部 : 家族の絆

前号まで3回にわたり(No.143, 144, 145)、まだほとんど無名のフランス人、エミール・ド・モンゴルフィエの生涯に光を当てた。リヨン近郊アノネー出身で、1866(慶応2)年から1873(明治6)年まで横須賀造船所の会計係と写真師を兼務した人物である。本号も引き続き同地域に着目し、モンゴルフィエ一族の遠戚で20世紀前半に生糸輸入商として活躍したアントワーヌ・ベシュトワルを紹介する。彼は1903(明治36)年に原三渓率いる原合名会社の子会社で、横浜に本拠を置く原輸出店と代理店契約を結ぶ。本号では当時、世界の絹の都と謳われたリヨンで、アントワーヌ・ベシュトワルと原三渓との間に長期に渡り結ばれた知られざる協力関係の再構築を試みる。

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ÉMILE DE MONTGOLFIER / Troisième partie : Exposition YOKOSUKA SHASHIN photographies d’Émile de Montgolfier prises au Japon

横須賀造船所会計係兼写真師 エミール・ド・モンゴルフィエ / 第三部 : 横須賀製鉄所(造船所)創設150周年記念特別展示横須賀寫眞 エミール・ド・モンゴルフィエが日本で撮影した写真

横須賀市は昨年、横須賀造船所創設150周年を祝い、首長レオンス・ヴェルニーと彼を支えた50人のフランス人技師らの偉業に思いを馳せた。一年を通じ各種行事が目白押しとなった。中でも最大の「ヴェルニー小栗祭」が、異例の状況下ながらも毎年恒例の11月15日に開催され、高円宮妃殿下、ティエリー・ダナ駐日フランス大使、吉田雄人横須賀市長、同市と姉妹都市提携を結んだブレスト市のフランソワ・キュイランドル市長をはじめとする国内外要人多数の臨席を得た。今年はフランスよりエコール・ポリテクニーク代表団、レオンス・ヴェルニーおよびエミール・ド・モンゴルフィエ子孫一行もこの式典のため特別に来日した。
150周年を祝う展示会も各種催された。そのうち次の2件が造船所に直接関連するテーマを取り扱っていた。
「すべては製鉄所から始まった―Made in Japanの原点―」
横須賀市自然・人文博物館 2015.10.31-2016.1.31
「横須賀寫眞 エミール・ド・モンゴルフィエ」
横須賀美術館、2015.10.2-12.13。
エミール・ド・モンゴルフィエの写真アルバム、各種史料(書簡、和紙製鯉のぼり等の物品)を子孫より借り受け、初公開するもので、筆者が関係したのはこちらの展覧会である。この一時里帰り展示を見るため、延べ2万人の方々が会場まで足を運んでくれた。これは、魅力的ながらも小規模かつ中心街より離れた立地の同美術館としては異例の数字である。写真展を見られなかった、あるいはこれの図録を入手できなかった本誌読者のために、展示作品中より代表的なものを選び出し、子孫の許可のもと、ここに掲載し、今まで知られていなかった写真師の功績を顕彰したい。

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ÉMILE DE MONTGOLFIER, intendant et photographe de l’Arsenal de Yokosuka (1866-1873) / Deuxième partie : la vie dense mais brève d’Émile de Montgolfier (1842-1896)

横須賀製鉄所(造船所)会計係 エミール・ド・モンゴルフィエ / 第二部 : その短くも鮮烈な生涯 (1842-1896)

エミール・ド・モンゴルフィエに関する新連載企画の第一部(FJE第143号掲載)では、筆者がその子孫と出会い、アルデッシュ県アノネー村の一族の館に大切に守り伝えられてきた大量の未公開史料の使用許可を得るまでの経緯を中心に説明した。次に、この史料の質の高さと内容の興味深さの実例として、一通の手紙を選び、その全文を紹介した。これはエミール・ド・モンゴルフィエが母に宛てた手紙で、1873年6月の富岡製糸場への旅を綴ったものである。第二部では、今回発見されたエミール・ド・モンゴルフィエ関連史料のみに準拠し、この短くも鮮烈な生涯を送った知られざる人物の足跡の再構築を試みる。そしてフランス史に名を刻んだこの偉大な一族の系譜における彼の位置を改めて検証する。

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ÉMILE DE MONTGOLFIER, intendant et photographe de l’Arsenal de Yokosuka (1865-1873) / Première Partie « Voyage à la Filature de soie de Tomioka »

横須賀製鉄所(造船所)会計係 エミール・ド・モンゴルフィエ / 第一部 : 「富岡製糸場への旅」

本号より始まる新連載記事はエミール・ド・モンゴルフィエに焦点を当てる。横須賀製鉄所(造船所)会計係として1865年から1873年まで日本に滞在、熱気球の発明で有名なモンゴルフィエ兄弟の後裔である。写真師としても優れた力量を発揮し、製鉄所とその周辺、および北海道、箱根、京都等、日本各地を訪ね、おびただしい数の写真を撮影した。記事の随所で滞日中の様々なエピソードを公私両面に渡って紹介していく。その際使用するのが、アルデッシュ県アノネー在住の彼の子孫が大切に守り伝えてきた膨大な史料である。筆者はこれの使用許可を得て、他に先駆け本誌読者に初めて公開する。これらの史料は、日本史における重大な転換期にあたるこの時代に取り組む研究者や歴史家ならば決して見逃せない新出の情報源となるであろう。このように大量の史料がほぼ完全な保存状態で発見されたことは、日仏関係史の調査研究における一大事件であり、これにより、特に横須賀製鉄所および造船所の歴史における数多くの未解明部分に光を当てることができるであろう。
第一部は富岡製糸場への旅について語る。

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CINQ SIX LETTRES INÉDITES de Gustave Duchesne de Bellecourt tirées d’un dossier personnel du général Charles Cousin de Montauban / Première Partie

シャルル・クザン・ド・モントーバン将軍の個人ファイルから発見された初代駐日フランス代表デュシェーヌ・ド・ベルクールの未公開私信 五通六通 / 第一部

約10年前のことである。フランス某地方でシャルル・ド・モントーバン将軍の所蔵書類が競売に付された。その内訳は書簡約50通、および1860年のフランス中国遠征に関連する各種資料や地図で、いずれも1860年から1870年までの間に作成されたものである。デュ・パン大佐、シャノワーヌ大尉といった馴染みの人物名をいくつか認めたため、競売開催日に現地へ赴くことにした。すると驚いたことに、表紙目録の冒頭にいきなり、初代駐日フランス公使「デュシェーヌ・ド・ベルクールの書簡五通、デユ・パン大佐の書簡多数」と読めるではないか! 競売前に内容物を閲覧することはできないため、ともかく入札することにする。強敵が出現しないまま数分が経過し、筆者はその書類の山を全く手頃な価格で落札できたのである。支払いを済ませ、晴れて書類の所有者になると、矢も盾もたまらずデュシェーヌ・ド・ベルクールの手紙に飛びついた。五通はいずれも1860年12月9日から1861年3月14日までの間に在江戸フランス領事館から「元老院議員、中国遠征皇軍司令長官、モントーバン将軍閣下」宛てに「内密の私信」として送られている。

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Deuxième Partie

第二部

前号掲載の拙稿ではデュシェーヌ・ド・ベルクールがモントーバン将軍に宛てた未公開書簡のうち、1860年12月9日付の第一信に光を当てた。事件の進展が理解し易いよう、日付の順番通りに1861年1月31日付の第二信を紹介する。フランス公使は江戸の外国人らが依然として危機的状況に瀕している様を将軍につぶさに報告している。プロシア、イギリス、オランダといった列強他国の代表から警護支援を得ていることを強調しており、これは彼の援軍要請の論拠となっている。この第二信の冒頭に名前の挙がっている人物、イリッソン氏が、第一信でふれられた「馬問題」解明への糸口を提供してくれるのである。

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Troisième Partie

第三部

デュシェーヌ・ド・ベルクールがクザン・ド・モントーバン将軍に宛てた未公開書簡に関する連載企画の第二部では、第二帝政フランス駐日代表が当時の同盟国イギリスのみならず、プロシア、オランダからも警備支援を受けざるを得ず、同国の日本における軍事力の脆弱さが露呈した。馬問題はモーリス・エリッソンの回想録により、その一端を明るみにすることができたが、牛問題は依然として未解明のままである。本号掲載の第三部では1861年2月1日付と同16日付の二通を一度に紹介する。いずれにおいてもフランス、イギリス両代表を取り巻く状況は不穏なままである。そんななか、二人の盟友、オールコックとド・ベルクールは相互扶助と協力の精神のもとに結託し、日本政府に対して行動を起こす。

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Quatrième et dernière partie

第四部完結編

前号では駐日フランス総領事デュシェーヌ・ド・ベルクールがナポレオン三世の中国遠征隊総司令官モントーバン大将に宛てた私的書簡の第三信と第四信(1861年2月1日および同16日付)を紹介した。そこには、英仏代表、オールコックとデュシェーヌ・ド・ベルクールが治安の悪い江戸で危険にさらされていること、そして二人が相互扶助と協力の精神で幕府の権力者らと渡り合う様が切々と綴られていた。本号第四部完結編は最後の二通(1861年3月4日および同18日付)の全文を紹介する。前者は共同作戦の成功をことさらに慶び、後者は、この困難な時局にあっても途切れることなく支援してくれたモントーバン大将にナポレオン三世の代表として感謝の意を表し、日本の使節団の訪仏を成功させるため、大将のフランス帰国後もこの信頼関係が続くことを願っている。

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Justin Serre et la Toile Mousmée (1908 à 1914)

ジュスタン・セールとラ・トワル・ムスメ (明治41年-大正4年)

1908(明治41)年、横浜でジュスタン・セールが代理人を務めたポワリエ・ロバン・エ・コンパニー、そして同じジュスタン・セールが設立した会社で、画期的堅牢さを誇る布地「ラ・トワル・ムスメ」の販売を主たる業務としたセール・エ・コンパニーの来歴に光を当てる。

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« Quelques souvenirs d’il y a 50 ans (1861-1871) » - Première Partie

Voici en exclusivité quelques extraits des mémoires d’Alfred Roussin (1839-1919), témoin des dernières années du shôgunat et de la Restauration Meiji, polytechnicien mais aussi peintre-dessinateur, journaliste et écrivain.

アルフレッド・ルサンの「五十年前の想い出(1861-1871)」
第一部

幕末と明治維新の目撃者、アルフレッド・ルサン(1839-1919)の回想録が発見された。画家、記者、作家という多彩な顔を持つ「ポリテクニシャン」の新証言をここに紹介する。

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- Deuxième Partie:

第二部

第二部は横浜郊外の散策に出発するところから始まる。ルサンは横浜外国人居留地に住む二人の著名人、写真師フェリーチェ・ベアト、画家・風刺絵師チャールズ・ワーグマンと親交を結び、彼等と連れ立って旅をする。途中、そうとは知らずに危うく襲撃の難を逃れていた。挿絵にはフランス国防省海軍史料館(ヴァンセンヌ)が所蔵するルサンのアルバムより水彩画複数点を選んだ。これはルサンが実際の現場で描いたものである。

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- Troisième Partie: La guerre de Shimonoseki

第三部 下関戦争

第二部では、フェリーチェ・ベアト、チャールズ・ワーグマンとの親交を紹介した。三人は泊まりがけで鎌倉見物に出掛け、スケッチ、写真術への情熱を分かち合った。横浜に帰ると、旅の途中で出逢った二人のイギリス人士官を暗殺した犯人の処刑に立ち会う。彼らはこの事件を報じる記事を特派員契約を結んでいる新聞に寄稿する。彼らのスケッチや写真は銅版画で複製されて紙面を飾った。
アルフレッド・ルサンの回想録は下関戦争にはわずか数行しか触れていないかと思われたが、最後にこれに立ち返り、武勲の数々をことさらに強調している。その臨場感溢れる筆致を読者の皆さんにお届けする。

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- Quatrième Partie: L’empereur Meiji se rend à Edo

第四部 明治天皇、江戸に向かう

第四部は最近発見されたルサンの手紙から始まる。それは1864年、レオンス・ヴェルニーに宛てたものである。ヴェルニーは当時、海軍技師として中国に派遣され、上海の南、寧波の造船所建設を任されていた。この手紙のなかでルサンは下関での戦功をかいつまんで報告している。横浜へ帰る航海は猛烈な台風に翻弄され、フランス海軍に同行していたプティジャン神父を疲労困憊させる。次にルサンの二度目の日本滞在について語る。ミネルヴ号乗組士官として、1868年から1869年にかけての滞日期間中の出来事、特に明治天皇の京都から江戸への東幸の行列が通過する有様が描かれる。

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