会員便り

2016/8/22 大佛次郎記念館「ポール・ルヌアール」展にて

Bonjour

お元気でお過ごしでしょうか。
蝉しぐれとともにテレビからはリオへの歓声が響きます。日々届く選手たちの活躍は著しく、とりわけ大層な事をするわけでもない私の生活に、朝から,“よし!私も・・・!”と力が湧くのを覚えるのですから、このオリンピックにおける選手たちの力は素晴らしいものです。

さて、先日会員のSさんからご案内を頂いておりました大佛次郎記念館での「瞬間を切り 取る画家 ポール・ルヌアール」展に行って参りました。
目にしたポール・ルヌアールの銅版画はデッサン力に富み、一瞬にして対象を捉えていました。中でも猫の立つ姿はさぞかし猫好きで有名な大佛次郎を満足させた事でしょう。
こちらまでその猫の動作に心ほころびます。
そして、今回の目的のドレフュス事件。
「フランスの情報をドイツに流したとされる19世紀のスパイ冤罪事件」という学生時代の微かな記憶でしかなかった私は、にわか仕込みの知識を入れ伺いましたが、描き出されたルヌアールの絵はドレフュスのとまどいに満ちた表情を切り取り、ゾラ裁判においては数枚のゾラの苦悩の表情がこの事件の深刻さを物語っていました。
いつの世も、どの世界でも起こり得る人間の裏面、又、その不条理な民衆の流れに、ルヌアールの絵を通して鑑み、川の流れに竿をさす難しさを想うものでした。
只、この事件の結末は1906年ドレフュスの無罪と彼へのレジオン・ドヌール シュヴァリエ授与で終わります。
ドレフュスの、又家族の受けた煩悶は計り知れませんが、この結果に安堵を覚え帰途につきました。昭和5年、大佛次郎が記した“真実というものは地下に埋められても育ち、うっ積して爆発力を持つ”という言葉を脳裏に入れ・・・。

先日からの台風の影響で四方から吹く風に、フランス山の小さき夏の花々は人の世の喧噪など知らぬ顔でたおやかに揺れていました。

会員YOSHIDA Ikuko

ポール・ルヌアール展 ご案内 ダウンロード(1.4MB)

2016/8/10 クリスチャン・ポラック氏の「家族の絆」 −アントワーヌ・ベシュトワルによせて

Bonjour

暑さ更新の日々、皆様お元気でお過ごしでしょうか。

澄んだ空の下、光はくっきりと木々の陰影を地面に映し出し、その中、蝉がしきりに鳴いております。
夏ならではの視覚と聴覚の世界。
そんな中で私は、クリスチャン・ポラック氏の書かれたアントワーヌ・ベシュトワル(1872~1966、原三渓と長くかかわったリヨンの絹商人)について思いを巡らせていました。

過去と現在はつながり、人と人とはつながっている。これは当然の事ながら思いもよらないつながりが、目の当たりみえてくると、フツフツと喜びが湧く…。
人生でそんな経験は誰もが多かれ少なかれ味わうものですが、ポラック氏がいくらベシュトワルの事を調べ、動いても、中々辿り着けなかった事が、昨年(2015年)横須賀美術館でエミール・ド・モンゴルフィエの写真展を開催したきっかけで動き出しました。
その時協力して下さったマリー・ド・モンゴルフィエの夫のベルナール・シャンパネ氏がベシュトワルの事を調べ、アントワーヌ・ベシュトワルの子孫に行き着く事ができたのです。そして驚いた事にエミール・ド・モンゴルフィエ家とアントワーヌ・ベシュトワル家は親戚関係にあったという事も…。

来春、アントワーヌ・ベシュトワルの子孫が何人も来日されます。
原三渓の屋敷や三渓の残した美しいさまざまな品々を味わい、富岡製糸場も訪ねる予定だそうです。
又、絹を通して、人と人との交流が始まります。そこで現在における日仏の交流も繰り広げられるでしょう。過去と現在がつながり、未来に向けて1+1=2が3にもなるような 何かが生まれる予感が致します。(そうであればいい。という希望も含め)
人と人とのつながりって、いいものですね!!

屋外では蝉がしきりに鳴いております。

会員YOSHIDA Ikuko

クリスチャン・ポラック 著作資料: アントワーヌ・ベシュトワル ダウンロード (4.1MB)

2016/2/3 江戸・東京 二つの都を一つの美しい姿に残したフランスの広重ノエル・ヌエット

Bonjour
2016年。申の年が巡って参りました。
この申の年、私はできるだけ太く、大きく、高い木に登り、その木のてっぺんから美しい景色をたっぷり眺めてみたいものです。

美しい景色と言えば、元旦にすっぽり雪におおわれた東京、紀尾井町のステキな風景の賀状が届きました。
情景はやさしく、そしてしっかりとした線を持つ版画でノエル・ヌエットのものでした。
そのノエル・ヌエットの展覧会が3月1日(火)から3月21日(月)まで、日仏会館ギャラリー で展示される事を知り、皆様にもぜひともご案内したくペンを進めております。

1926〜1962年まで35年間に亘り日本に滞在し数々のスケッチ、詩・随筆を残したヌエット。
鉛筆ではなく万年筆でスケッチを続けたヌエット。
友人達に広重四世と呼ばれたヌエット。
東京の古いものと新しいものを、研ぎ澄まされた感覚で美しくとらえ、わけても皇居のお堀や丸の内のビルディングがお堀の水面に映る姿を愛したヌエット。
大学で教鞭を取り多くの学生にフランス語を誠実に教え続け、それは戦時中においても手作りの教科書で教えたヌエット。
日本で数多くの著名な友人を持ち明仁皇太子にフランス語を教えたヌエット。

これらのヌエット像がクリスチャン・ポラック氏の著書『筆と刀』の中の“もうひとりの広重、ノエル・ヌエット”で広がります。そしてこの度の展覧会が、より、ヌエット像を深めてくれるでしょう。
東京で長い時を過ごし、静かな詩人の目でその当時の都市の美しさをとらえ続けたヌエットの世界をお楽しみ頂ければと思います。そしてもう一度、現在の東京の景色を眺めてみてはいかがでしょう。東京の姿が改めて美しく目に映るかもしれません。

もうすぐ立春。外気は冷たく、深々と夜も更けて参りました。
どうぞ皆様、お風邪など召しませぬよう暖かくしてお過ごし下さい。

参考文献
・クリスチャン・ポラック著『筆と刀』(在日フランス商工会議所 2005.10)

会員YOSHIDA Ikuko

ノエル・ヌエット 展覧会・講演会のご案内 PDF ダウンロード (7.9MB)

2015/09/12 150年の時を経て、エミール・ド・モンゴルフィエ現れる

Bonjour
外は冷たい雨が降っております。これを秋雨というのでしょうか。
そんな中、皆様お元気でお過ごしでしょうか。

さて、今日は、この秋横須賀製鉄所創設150周年記念事業の1つとして、10月3日(土)〜12月13日(日)まで開催される横須賀美術館特別展示「横須賀寫眞―エミール・ド・モンゴルフィエ関連資料」をご紹介いたしましょう。

モンゴルフィエ家はさかのぼること1783年、モンゴルフィエ兄弟(ジョセフ=ミシェル・ド・モンゴルフィエ Joseph-Michel de Montgolfier ジャック=エティエンヌ・ド・モンゴルフィエ Jacques-Étienne de Montgolfier)が熱気球を研究し、世界で初めて空中飛行をした事でよく知られております。
現在もなお、世界中から気球愛好家達がロレーヌ地方に集まり、各自ご自慢の気球でグランドリーニュといわれる壮大な列をなし、空中散歩を楽しんでいるようです。ロレーヌ国際熱気球大会のその美しい光景は、NHK「世界で一番美しい瞬間」で紹介されました。
そして、アルディシュ県アノネーではロラン・ド・モンゴルフィエ氏と氏に協力する人々が18世紀のいでたちをして、その当時の方法で藁を燃やし、気球を飛ばす実験を再現しております。

かねてから製紙業を営んでいたモンゴルフィエ家は今もアノネーに存在し、Canson-Montgolfier として高級アート紙等を世界中に販売しています。多分これをご覧になっている皆様の中で、お使いになっている方もいらっしゃるでしょう。そんな歴史を持つ家に生まれたエミール・ド・モンゴルフィエ Émile de Montgolfier は、おじのレオンス・ヴェルニーの下、会計係として横須賀製鉄所で働きます(1865〜1873)。その傍ら写真を撮る高い技術を持った彼は、たくさんの写真を撮っています。
その写真とともに当時日本から持ち帰った品物、又、会計係として働いた時の書類や手紙等、クリスチャン・ポラック氏監修のもと横須賀美術館で展示される事になりました。

どうぞ皆様、エミールの写真とともに150年前の横須賀にひと時、旅をしてみてはいかが でしょう。
新しい発見があるかもしれません。

会員 YOSHIDA Ikuko

横須賀寫眞―エミール・ド・モンゴルフィエ関連資料 ご案内 PDF ダウンロード (0.5MB)

2015/08/11 横浜美術館コレクション展 ―ポール・ジャクレーへの思索を巡って―

Bonjour
日々日中の最高気温が更新されています中、皆様お元気でお過ごしでしょうか。
我が家のサンルームからは、日除けに伝わせた野葡萄の濃い緑の葉とそこから覗く夏の青い空のコントラストが美しく、夏ならではの姿を映し出しております。こんな光景もしばしの間、時は移ろい、又、異なる世界が始まるでしょう。

美しい世界といえば、先日、横浜美術館コレクション展で、かねてから気になっている作家であるポール・ジャクレーの作品が展示され、横浜美術館の特任研究員猿渡紀代子さんと、ジャクレーの養女であられる稲垣ジャクレー・テレーズさんの対談が行われるとの事で行って参りました。

私が初めてポール・ジャクレーという名を知りましたのは、クリスチャン・ポラック氏の『筆と刀』という本でした。対談でも猿渡さんが“1回見ると忘れられない作品“とおっしゃっていましたが、私もその本のページを開いたとたんジャクレーの世界に惹かれました。確かに印象深く、ともかく色彩が美しいのです。

その日は幸運な事に、そう多くの人が訪れているわけでもない展示室をゆっくり足を進め、私の勝手な思索がジャクレーの作品を挟んで始まりました。
まるで一歩一歩異なる世界に入っていくように・・・。

ジャクレーの日本の作品は(勝手な私の感覚を通してですが)静かで、画面は静止しており、平面的で描かれた人物は物を言いません。これが三歳から亡くなるまで過ごした、彼の感じた日本なのだろうかと思いながら足を進めました。
ヤップ島や南洋の島々の作品となると背景が動き出し、何よりも画面を通して人物の目が何か挑戦的ともいえるような眼差しで心を捕えます。又、女性の衣服は南国の花々とともに色彩が豊かで、特に蝶が生き生きとして美しい。
それが朝鮮に入ると、静かな中に人は動きを持ち、無言のうちに何かを語ります。

そして1942年、中国宮殿風俗画シリーズ。
これらはジャクレーの集大成とも思えるもので、今までそれぞれの国を描いた作品とは一線を引き、線が細やかで何よりも多くの色使いが、まるで万華鏡を覗いたようです。版木をどのくらい使ったのでしょうか。幼少より美しいものだけを追い続けたジャクレーならではの感覚を多色摺りの色使いで際立たせています。
ここにきて、ピカソがピカソであるように、ジャクレーはジャクレーであり、彼独自の世界を築いているように思えました。それは晩年の作品モンゴル婦人像においても同じく細やかな線と多色使いで、その美しさは一抹の哀しさを持っているように感じます。中国、モンゴルの作品においては、作品が語るというよりジャクレーが何かを語ってくるように思え、それが何であるか、これから又、ジャクレーの作品と会う度にゆっくり進めていくことにしましょう。未来に課題ができた事はとても楽しいものです。

帰り道、彼はフランス人の両親のもとパリで生まれ、三歳から亡くなるまで人生のほぼ日本に居ましたが、本当の彼の心を置く国はどこにあったのだろうか。それは太平洋戦争を挟み、外国人が日本で生活する困難さを経験したことと関係あるのだろうか、等とジャクレーの心に思いを巡らし、この夏の過酷とも思える日差しも一向に苦にならず家路につくことができました。
又、どこかの美術館でジャクレーに会えることを願って・・・。

参考

会員 YOSHIDA Ikuko (Mrs.Ikuko)

2015/01/15 リュネビル刺繍に魅せられた日本人

Bonjour
日本で一番寒い季節となって参りましたが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。
今日はフランスのルサージュの工房が経営する学校で、リュネビル刺繍を学び日本で広めようと刺繍に専心していらっしゃる若い女性をご紹介いたしましょう。
彼女の名は粟野涼子さん。
高校時代フランス語の授業を取り、服飾の専門学校に在学中に Bunkamura ザ・ミュージアムでの「パリ、モードの舞台裏」というタイトルの展覧会でこの刺繍と出会い、その美しさに衝撃を受けたそうです。その衝撃を胸に、彼女はその後、語学留学でフランスのリヨンへ行きます。どうしてリヨン?と尋ねると、絹の街だから・・・と。
フランス語に慣れてきた頃、住居をパリに移し、ずっと思い続けてきたルサージュの刺繍学校に入り、リュネビル刺繍を学びます。
そして日本で今、その刺繍を知って頂くため Ia broderie AWANO Ryoko として展示会を開きながら刺繍の作品を創り続けています。大きな木の刺繍台はフォルムが美しく、私の伺った時は透けるチュールにフランス製の白い絹糸とビーズが刺繍されていて、何とも優雅で長時間かけられてつくられた、手刺繍ならではの味わいのある布が横たわっていました。
この刺繍するにあたってご苦労は?と言う問いに、“刺繍をしていると夢中で時を忘れますが、なかなか、まだ生活に結びつかない所です”と率直な言葉が返って参りました。それでもこの刺繍に惹かれて止まないようです。
何事も1つの物に打ち込み一生懸命な姿は、彼女の刺された刺繍と共に美しいもののように思いました。
どうぞ機会がございましたら、彼女の作品をご覧になって下さいませ。

ちなみにリュネビル刺繍とは、1810年フランスのリュネビルという街で生まれ、フランス北部のレース製作に流れを汲みます。かぎ針でチュールにチューンステッチをしていくもので、軽く柔らかい生地を使う事が特徴のようです。
ステッチ1目ごとに生地の下側にビーズを止めていき、この事により、上質で高級な刺繍ができるのです。当時から高く評価されていたこの刺繍も19世紀末、刺繍の機械化により衰退しかけるのですが、このかぎ針で縫いつけるビーズ刺繍は針で刺すより作業がしやすいと言う理由で、更にステッチの技法を発展させ世界中を魅了していきます。
第二次世界大戦後、手仕事の賃金は近代化と競争できなくなっていきました。そこに、フランスの刺繍界に大きな功績を残したフランソワ・ルサージュが現れます。両親が刺繍職人で、工房を持つ父アルベール・ルサージュの死により20歳でメゾンを引き継いだ、フランソワ・ルサージュ(1929〜2011)は工房の発展に打ち込み、スパンクルやリボン等を加える事で、より刺繍に多彩な表情を与えました。
彼は画期的な発想、テクニックの開発、尽きる事のないアイデアの持ち主で「刺繍の王」という名をとどろかせます。シャネル、ディオール、イヴサンローラン、バレンシアガ等の刺繍を手がけ、オートクチュールに欠かせない人物となりました。
2007年にはレジオン・ドヌール勲章、2011年11月にはメートル・ダール(日本の人間国宝)を授与され、そして2011年12月1日ヴェルサイユにて82歳の生涯を閉じます。
メゾン・ルサージュは今も活躍を続け、エコール・ルサージュでは高い刺繍の技術を学ぶため学生が励んでいます。
では皆様 Au revoir

参考資料:
  文化出版局 『エコール・ルサージュの刺繍』 2008年
  文化出版局 2012年 ミセス 7月号

会員 YOSHIDA Ikuko (Mrs.Ikuko)


粟野涼子さんの刺繍

刺繍台

2014/11/17 深まる秋フランクの音楽を

Bonsoir
皆様、秋の夜長をいかがお過ごしでしょうか。
昨秋はピレネーのワイン、マディランをご紹介したような気が致します。
今夜はフランスに近いベルギーのリエージュで生まれ人生のほぼ大半をフランスで過ご し、パリで没したセザール・オーギュスト・フランク César Auguste Franck (1822.12.10〜1890.11.8) のお話しを致しましょう。
私が彼の音楽に初めて出会ったのは、大学1年のフランス音楽の授業の時でした。その時かけられた1枚のレコードがその後ほぼ6年間毎夜、眠りに就く前に聞く事になったバイオリン・ソナタ イ長調です。
この曲が鳴りはじまると同時に、私の脳内では色々な世界へと旅をします。
ある日は荒涼とした草原へ・・・。銀色の穂は風になびき、うねる中色々と想いを巡らしながら歩きます。
又、ある日は延々と続く木立の中を馬車に乗って走り抜けるのです。窓からの美しい木々の眺めと共に人生の思索を乗せて・・・。
彼の音楽でどうしてこのような事が起こったのでしょう。その当時の私に合った音楽で あったのは勿論ですが、彼が作曲上使った循環形式によるような気が致します。まだご存知のない方々に少しこの形式について簡単にお話し致しましょう。
交響曲やソナタ形式、室内楽のような多楽章の楽曲で1つ、又はそれ以上の主題が1楽章 のみならず他の楽章(終楽章が多い)にあらわれる形を言います。この事が音楽と共に心地よい想いを巡らせたのかもしれません。この心地よいと言うのも、セザール・フランクの楽曲は旋律が品位を持って深い表現力があり、和声の美しさに加え、しっかりした構成と調和がその世界をつくり出しているのです。
フランクの作ったフランス音楽は(そう言ってもよろしいかと・・・)隣国ドイツ音楽の 内向的で深い精神性と、イタリア音楽の外向的で感性の豊かな音楽とを取り入れ、独自の新しい自由な技巧を展開したと言えるでしょう。当時フランクの弟子達はフランキストと呼ばれ、フランクの手法を使ってフランスで活躍いたしております。
もしお時間がございましたら、彼の弦楽四重奏曲ニ長調や、今夜ご紹介したバイオリン ・ソナタ イ長調をお聞きになって下さいませ。そして、そこで旅にいざなわれれば幸いでございます。
それでは、夜はたっぷり更けてまいりました。皆様 おやすみなさいませ。

会員 Mrs.Ikuko

2014/07/29 エコール・ポリテクニークの学生達の眼差し

 会長と会員のお知らせで横須賀ヴェルニー公園内のヴェルニー記念館にて、フランスのエコール・ポリテクニークの学生が研修生として来日した折、日本各地を写真に収めたものが展示されていると聞き訪れてみました。
 写真は沖縄から佐渡、金沢と各地に及び葉書サイズの写真がスチームハンマーと向かい合って50枚近く展示されていました。理系の学生達の目は好奇に満ち、時には私に小さな驚きを与えました。
 例えば、「肉の喜び」と題して大きなタコが画面いっぱいに撮られ、“妖艶な日本のイメージの象徴”と言う言葉が添えられています。何故に若者がそう見たのか。今のところ私には分からない。ただ、これからタコと出会う度、この謎の迷宮に入るであろう。なかなか謎を残されると言うことは、いつも未来にテーマを抱えている楽しさがあります。
 他に印象深く思えたのは日本を対比をもって捉えたものが何点もあったことです。
 その1つに「静と動」(グランプリ受賞)、“道頓堀の河岸の静けさと大阪の街角の熱狂のコントラスト”と注釈が付き、ネオンが道頓堀の水面に映った光景は街の夜ならではの色彩の美しさを出していました。
 また、「日本の伝統と現在」では、レジで支払う舞妓の後姿を撮り、レジのモニターも写っています。フランス人にとっては古典的な舞妓姿とレジ、モニター等が伝統と現在と言う組み合わせに見えたようです。
 次に、「現在日本のコントラスト」と題し、“伝統的で現代的、力強い高層ビル群は東京にある神社仏閣を敬うため息を止めている。広々としているかと思うと密集している。住人達は自然環境にスペースを譲ろうと狭まっている”と、長い注釈がありました。それは緑豊かな皇居の公園と後にそそり立つビル群を写したもので、なるほど、そう捉えたのかと・・・。注釈を読んだ上で改めて写真を見、この流体力学専攻の学生の感性と論理的思考に、おもわず首を縦に振っている私がいました。
 どれも若者の目は新鮮で、それぞれの目がそれぞれの感覚と思考で日本を捉えています。
 異国の若者の目は鋭い!

会員 Mrs.Ikuko

2014/06/12 東善寺 「小栗まつり」

 アジサイの花が色付き、梅雨を迎える頃となりました。
 皆様いかがお過ごしでしょうか。

 私は去る5月25日、主人と共に小栗上野介の終焉の地である高崎市倉渕町権田の東善寺「小栗まつり」に行って参りました。かねてより高崎駅からかなり遠いと聞いておりましたが、小栗まつりとあって、当日、実行委員会が用意して下さった高崎駅前9:00発の乗合いタクシーに乗ることができ、旅の序章がはじまりました。
 タクシーは五月晴れのもと高崎市街から郊外へと移り、舗装されたアスファルトの道を緩やかに蛇行しながら徐々に上ってゆきました。車窓からは、近くの山々がこの季節ならではの緑のグラデーションを映し出し、その中にヤマボウシの白い花が点在していました。
 民家の庭にはショウブ、カキツバタ、ツツジが色とりどりに、どれも驚くばかりの成長ぶりで咲き快適なドライブも佳境に入った頃、同乗の東京からいらした方が一点を指差し「あそこを見てごらんなさい、旗が見えるでしょう。あそこが上野介が斬首された所ですよ」と・・・。その一声から先ほどまでの呑気な旅は一転し、今日の目的地が近く、又、その上野介にまつわる歴史的エリアに入ったことを身体ごと認識いたしました。
そこから少々上流に烏川と平行して山側に東善寺は在りました。
 ここが・・・。ここが・・・、と私の内なる声と共に、樹齢何百年、たぶん当時もあったであろう松が迎えてくれました。境内は小栗まつりとあって、地元の人々がかいがいしく動き、地産地消の出店が並び、そこを奥に足を進めると墓前祭の場所に着きました。
 お寺の瓦には小栗家の家紋である「丸に立波」が彫られ、あらためてこのお寺が小栗上野介を祀っていることを感じているうちに、村上泰賢住職のろうろうたるお経が響きわたりました。その後、列席者の御挨拶で横須賀市長が挨拶されると、列席者の方達の中には小声で「市長さん 若いネェ」と好奇に満ちた声がささやかれていました。私にはお若くて、ひときわ声がとおり、堂々としていらっしゃるように見え、ふと心が綻んだ瞬間でした。
 その後、本堂で「ヴェルニー・小栗祭」でも演奏された倉渕中学校音楽部の「小栗のまなざし」(福田洋介作曲)が演奏され、2部では、1969年発足、詩人萩原朔太郎のマンドリン活動の孫弟子にあたる両角文則氏主宰の群馬マンドリン楽団によるマンドリン演奏を・・・。プログラムの最後、「維新無情」(作曲:伊東福男 脚本・朗読:村上泰賢)はマンドリンを背景に上野介の運命を、あるときはろうろうと、あるときはたんたんと語るものでした。
 この住職の語りは聞く人々をタイムスリップさせ、私も本堂より遠くに望む山々の尾根を見渡しながら、ここで生きようと決心し、新しい住居を建てている木材の響きや、お茶を植え養蚕と共に生計を考えた上野介と家族とのひと時の静かで、平和な時を思うものでした。
 西軍が迫り来る情報で斬首3日前、妻や養嗣子又一の許嫁らを逃すため権田村の農民40名ほど護衛隊となって送り出した上野介の心中に思いを馳せ、大きく変動するこの時代の運命やどうしようもない流れに、なんとも感慨深く時が過ぎてゆきました。時代により光のあたるところは変わっていくはず、現在生きる我々は色々な角度で史実に光をあて、歴史を検証し、未来に伝えていく必要があるだろう等、歴史の舞台にひと時どっぷり浸りました。
 午後は童門冬二先生のお話しがあり、強い陽射しに疲れた私は、早くから本堂に入って座っておりましたところ、どこからか「横須賀市長さん いま 梅干を買われたよ」と本堂に居て市長の動向が分かることにほほ笑ましく、横須賀市長の関心度の高さを感じました。
 最後に、橋の上から烏川を望み、その当時も今と変わらないおだやかな流れと美しい農村風景であったであろうに・・・と。
 横須賀の「ヴェルニー・小栗祭」での机上の知識だけだった私は、この小栗まつりで臨場感を持って史実が現れたことに感謝しつつ帰途につきました。
 「百聞は一見にしかず」 どうぞ皆様、お時間がございましたら、お出掛け下さいませ。

会員 Mrs.Ikuko

2014/03/03 クリスチャン・ポラック氏、『百合と巨筒』 ― 見出された図像と書簡集1860‐1900 ― 出版

 Bonjour  皆様お元気でお過ごしでしょうか。
二度の大雪に都会の人々は大混乱。私はその翌日、上野の美術館に出かけました。
上野の森は一面白の世界が広がり、ブリューゲルの絵を想わせるものでした。顔を刺す冷たさと交通の不便さとともに、この二月の美しい贈り物を享受して参りました。

 さて、今日は皆様に又、嬉しいお知らせがございます。
かながわ日仏協会、会長代行であられるクリスチャン・ポラック氏が『絹と光』『筆と刀』に続き、『百合と巨筒』という本を出版されました。
まずこの本を手にして目に飛び込むのは、本文のリュドヴィク・サヴァティエを象徴する百合の絵です。これは江戸の幕臣、馬場大助(号 資生圃)が描いた絵であると著書より知りました。
ともかく美しく、今朝、露を帯びて開いたばかりのみずみずしさで、今にも語りかけてきそうな様子です。この著書にて馬場大助が現れたことは、私に大いなる喜びをもたらしてくれました。
医師サヴァティエの植物学への功績は大きく、手紙文には誠実で忍耐強く情熱を持った人柄が溢れ出ています。彼について、小さな子供たちに一つお話しをするとすれば、「今、食べているあの赤い大きないちごは、昔、リュドヴィク・サヴァティエという人が運んできたのですよ」と。
幕末から明治にかけて、多くのフランス人が日本にあらゆる方面の新しいものをもたらしました。巨筒の礼砲が打ち鳴らされる中、迎えられ、礼砲の中、去って行く、心を日本に残し・・・。
フランス公使レオン・ロッシュやフランス海軍士官シャルル・ラヴィゾンのように「愛する日本」「まだ帰りたくない日本」と言って涙を流し、その時巨筒は鳴り響いていました。もちろん、日清戦争に向う中、兵器としてもたらされたものですが・・・。
この当時の日本人も、日本を訪れたフランス人も好奇に満ち、日本の庶民は「 お も て な し 」を心よりしたようです。
日仏の交流はこの時代、それぞれの人々が懸命に生き、多くの足跡を残した上に、今があるのでしょう。
皆様、どうぞこの本を1ページ1ページ紐解き、セピア色の世界に浸って下さいませ。

ではまた、 Au revoir

会員 Mrs.Ikuko

[著書]

『百合と巨筒 ―見出された図像と書簡集 1860−1900― 』
著者:  クリスチャン・ポラック
企画、編集、発行:  在日フランス商工会議所  2013年12月
〒102−0085東京都千代田区六番町5−5飯田ビル2階
TEL 03−3288−9621
FAX 03−3288−9558

2014/01/09 竹中祐典氏、サヴァチエの生涯『花の沫』を出版

待望のリュドヴィク・サヴァチエの本が去る12月中旬、かながわ日仏協会会員でいらっしゃる竹中祐典氏により出版されました。
私がこのサヴァチエの名を初めて知りましたのも、竹中氏の横須賀市自然・人文博物館での講演でした。当時、今もそうですが、私は生け花の為、野や山に自然の姿の植物を求めて歩いていました。このところお花屋さんでは原種の形はほとんどなく、どんどん改良され、華やかさが増しております。その中で、日本古来の姿を求めて歩いておりました。ちょうどその時、この氏のお蔭でサヴァチエに出会ったのでした。
竹中氏の講演の次に、西野嘉章+クリスチャン・ポラック[編]『維新とフランス』の中でポラック氏のサヴァチエに、又、出会いました。その頃から、彼が日本の植物を追い求め各地を歩く姿、医師という多忙をきわめる中、日本の植物の研究にあてていた姿に心を打たれ、彼が日本にもたらした植物、果物、野菜など、今当然のように口にしている物が彼からもたらされたことを知りました。
そして、数年前、かながわ日仏協会の企画で横須賀軍港めぐりの折、竹中氏よりサヴァチエの本を出されると伺い、その時から待ちました。ただ、待ち焦がれると時が長く感じましたが、その間、氏は何度もフランスに渡り、滞在し、取材を重ね、ご自分で随分前から調べられていた書き物と合わせ、この度、形にされました。
12月末送られて参りましたそのご著書は綿密な取材と研究で中身は濃く今少しずつ読み進めております。
著書の中でも、巻末に書かれた、年老いたサヴァチエがベルタンに語った、「日本から戻ってもう随分久しくなるのに、日本の森に巨人のように、すらりと立つスギの樹脂の香りを何時の日か嗅いだり、あの列島の雨が神社の鳥居の笠木の上できらめくのを見たいというノスタルジーが今となって激発することがあるのです」という日本への想いは、日本人として嬉しく心を打つものでした。そして、それを書かれた竹中氏の情熱を思います。
まだまだ、サヴァチエは世の中に広く知れ渡っておりません。この本がたくさんの方に読まれることを望みます。又、今サヴァチエの研究をされている方々が色んな切り口で彼を描き、読者の心に届けられんことを乞います。

モーツァルトがたくさんの著者によりモーツァルト像に迫るように・・・。
サヴァチエ没後120年以上を経、今、浮上し、再評価されることを・・・。
彼はそれに値する人物であると・・・。

この本を出された竹中氏に心よりお祝い申し上げます。

会員 Mrs.Ikuko

【著書】
『花の沫 <はなのあわ> —植物学者サヴァチエの生涯』

竹中祐典[著] 四六/272頁◆本体2,500円
発行所:八坂書房(〒101−0064千代田区猿楽町1−4−11)
         TEL03−3293−7975
         FAX03−3293−7977
発行日:2013年12月10日

2013/12/14 フランスワインに乾杯!

 Bonjour  今日は日ごろかながわ日仏協会の運営のため、お骨折り下さっている方々と、先日忘年会を致しました様子をお話致しましょう。
 Y氏が用意して下さった、目黒の野菜フレンチ食堂“デラッセ”という小さな、落ち着いた雰囲気のお店で、これまた、Y氏の配られた鉄道路線図ならぬ、ワイン路線図のガイドにより、9名、7本のワインを一本一本味わいながら飲み干しました。
 T氏お薦めの100%Syrah、Côtes du Rhône はやはりおいしく、話題はワイン路線図に乗り、それぞれ興じ、3時間はあっという間に・・・。この度は、“同じ釜の飯”というよりは、“同じワインを飲みあった仲間”と言わせて頂いてよろしいでしょうか。
 この皆様と楽しい時に乾杯!
 こんな時間が一人でも多くの会員の方々と持てることを希って・・・。
 では、Au revoir.

会員 Mrs.Ikuko

2013/11/27 Côtes du Rhône - Guigal の白ワイン

すっきりと飲み口のよい爽やかな白ワインは夏にいただく印象ですが、ボリューム感の感じられるような白が、冬に向かう季節にはよいですね。

リーズナブルで、どこでも手に入れやすいものとして、ローヌ地方の有名な作り手E.Guigal社のCôtes du Rhône Blancなどはいかがでしょうか?
鍋物やグラタンなど、冬の食事にも合うと思います。
かつて、この地方特有の品種だったViognierを50%以上使っていますが、この品種によるワインは、杏や白桃、蜂蜜や白い花などの香りが特徴で、酸が穏やかな分、味わいに厚みを感じることができます。

そして、少し特別な時には、Viognierを100%使用したCondrieuがおすすめです。

ゆっくりと味わう白ワインとして最適なもののひとつでしょう。

会員 F

2013/11/14 秋の夜長にピレネーのワインをどうぞ

Bonjour  木の葉や木の実が色付き、美しい季節となってまいりました。 皆様、お元気でお過ごしでしょうか。
今日は、我が日仏協会会長代行であられるクリスチャン・ポラック氏に教えていただいた、濃厚なワインをご紹介することに致しましょう。
ポラック氏はピレネーの麓、Montréjeau のご出身で、そこで飲まれるマディランという赤ワインがあるそうです。濃く、黒く、皮も種も実もすべて入っているこのワインは、飲んだ翌朝、ワインが五体に染み渡りとても身体が快調だそうです。
私もいただいてみましたが、カオールの黒いワインに似て、濃厚でお肉料理とよくあい、少々グラスの運びが進んでしまいました。
翌朝は? もちろん快調!
どうぞ皆様も、秋の夜長に一杯、どうぞ・・・。
では、Au revoir

* どなたか、家庭で日常いただけるご推薦の白ワインがございましたら、教えていただけますでしょうか。

会員 Mrs.Ikuko

2013/11/05 リンゴのお菓子 「タルト・タタン」

Bonjure 秋の訪れとともに、リンゴのおいしい季節となってまいりました。
リンゴと言えば日本では、アップルパイが有名ですが、フランスのタルト・タタンもおいしいもの。
このお菓子はフランスのソーローニュ地方、ラモット・ブーヴロンという小さな町のホテルタタン(1894年)の経営者二人の姉妹の失敗から生まれたお菓子だそうです。
この失敗がなければ、このタルト・タタンはこの世になかったかもしれません。
バターとキャラメルの香り、リンゴをたっぷりとつかい、リンゴの汁がタルト生地にしみ込んだ、シンプルなお菓子。
こう書いていても、おいしそうなにおいがしてきそうです。
食欲の秋。どうぞ町のケーキ屋さんで見つけられましたら、ご試食下さいませ。
私も食べたくなってまいりました。
今からお粉と奮闘して作ることに致しましょう。
では   Bonne journée 

※ その後、ホテルタタンはジル・カイエ氏の手に渡り、今では息子のマーシャル・カイエ氏が運営しているとのこと。
いまだ、姉妹のタルト・タタンは健在のようです。ラモット・ブーヴロンにいらしたら、ぜひ、ホテルタタンのタルト・タタンをどうぞ・・・。

※ 前会員 大森由紀子氏の「スイーツ王国」参照

会員 Mrs.Ikuko