所沢航空発祥記念館を訪れて (2017-03-26)


ポスターの展示

 透き通った青い空、人はいつの頃からこの空を飛びたいと思ったのであろうか。
 頭上ではトンビが優雅に旋回している、あの鳥のように・・・。と思ったのはいつ頃なのか。
 それから人は様々な挑戦を“空を飛びたい”という強い思いでしてきた。「人間は空を飛ぶ時、それは死を覚悟しなければならない、“死んでもいいから空を飛びたい”と望む人間だけが、空を飛ぶ権利を持つ」と筒井康隆は言う。(『空を飛ぶ表具屋』より)
 かながわ日仏協会の企画、所沢航空発祥記念館の見学会が決まってから、私はこのように想いを巡らし飛行機の爆音を聞いては庭から空を見上げる楽しい日々が少々続いた。

 2017年3月26日。見学会の日はきた。その日はあいにく冷たい雨が降り、天気予報では四月もすぐそこだというのに“冬支度でお出かけ下さい”と、どのチャンネルも呼びかけていた。
 それでも航空公園駅集合の会員は誰も欠席者無く皆揃い、久しぶりの再会に声をかけ合う様子はいつもながら中々良い光景である。この駅舎は1910年(明治43年)に徳川好敏大尉が日本で初飛行を遂げ、その時操縦したとされるフランス製のアンリ・ファルマン複葉機をもとにデザインされているらしい。
 駅舎の窓からは戦後初めての旅客機YS11機がたった今飛行場に着陸したかのように在り、我々を迎えてくれた。“中々こういう駅はないねー”などと会員達と話しながら、やがて「日本ー仏蘭西・百年飛行の旅」という記念館にかけられた看板が見えてきた。
 フランスと我が国の航空機における関係は大きく、日本の軍事航空の歴史はフランスのジャックフォール大佐率いる使節団が来日した時から始まる。この日仏の交流史はクリスチャン・ポラック氏の『筆と刀』に当時の様子や記録が詳しく書かれており、知識を深めたい方は是非読まれて欲しい。
 館内に入ると外とは別世界である。かつて活躍したであろう飛行機やヘリコプターが多数頭上高く吊るされ、床には大型輸送用ヘリコプターが操縦室まで乗り降り可能な状態で置かれていて、圧巻である。
 二階の展示場に足を踏み入れると、かつて鳥のように飛行したいと願った人々が飛ぶという事に挑戦する姿のフィルムが映されていた。その前のイスに祖父と思われる男性と三歳位の男児が座っていて、画面は鳥の翼のようなものを背中につけ崖から飛び降りるというシーンで、何人もが飛び降りていた。祖父は飛び降りる度に男児に“あーあ、落ちちゃった。あーあ“と・・・。側の男児は一言も発さず、小さな肩だけが上下する。どうやら崖から飛ぶ時は肩が上がり、落ちると下がるようである。ともかく食い入るように見、一言も発さない。この二人の世界をそっと後ろから垣間見、航空機の未来が今、ここで育まれているような気がして心が暖かくなった。
 やはり外は冷たい雨が降っている。
 航空機は幾多の犠牲のもと、計り知れない人々の研鑽が時代とともに発展し現在の飛行機を生み出してきた。これからも航空エンジニアの空への挑戦は続く。いったい未来の空はどうなっているのであろうか。
 この度の記念館の企画で展示されているかつてのエールフランスの魅力的な数々のポスターが館を訪れる人々を旅へといざなう。会員達はカメラを片手にそれぞれがそれぞれの好奇と知識に従い熱心に見学していた。
 皆で館を出ると、かつては飛行場の滑走路であったという道は広く縦に延び、側には樹齢何年であろうか、貫禄ある桜の木々が堂々と立ち、蕾は冷たい雨に縮こまっていた。それでも何故か私は清々しく、今度は晴れた日にもう一度来よう、と思いながら帰途についた。

【参考】クリスチャン・ポラック著『筆と刀』(2005.10 在日フランス商工会議所)

会員 YOSHIDA Ikuko


見学当日の写真


YS11


航空発祥記念館外観


記念館に掲げられた看板


館内風景


館内風景


館内風景


館内展示物

photo: n.takada